2009年4月16日

タイラー基金CNS奨学生が決定しました

タイラー基金は新しく、横井淳さんと斎藤由華さんをCNS奨学生として認定しました。2009年4月に授与式が行われ、より高度な小児がん看護の勉強のための奨学金が与えられました。

小児がん看護をなぜ目指したのかなどについての彼らのスピーチは大変感動的なものでした。以下をクリックしてお二人のスピーチをお読みください。

審査員の先生方

また、以下の審査員の先生方にも感謝を申し上げます。

  • 首都大学東京健康福祉学部 教授 戈木クレイグヒル滋子先生
  • 聖路加看護大学 教授 及川 郁子先生
  • 済世会横浜市東部病院 看護師長 渡邊 輝子先生

横井淳さんのスピーチ

この度は、このような会にお招きいただき誠にありがとうございます。タイラー君をは じめ、理事長のキンバリーさん、副理事長のマークさん、審査をしてくださった戈木先生、 及川先生、渡邊先生、またタイラー基金関係者の皆様、誠にありがとうございます。

こういった場で、ご挨拶をするのはなにぶん不慣れなものでして、何を話したら良いか 考えたのですが、横井という人物を皆様に知ってもらうために初めに自己紹介をさせてい ただきたいと思います。

私は、出身は静岡県浜松市で、高校卒業後に東京都の荒川区にキャンパスを置く首都大学 の前身である都立保健科学大学に入学しました。そこで、当時教授をされていた戈木先生 と出会いまして、小児看護学について学ばせていただきました。戈木先生その節はご指導 ありがとうございました。同じ受賞者の斎藤さんともこの大学で知り合い、4 年間の学生生 活を共にしました。大学を卒業後は、千葉県のこども病院に入職し、4 年間血液内科で、1 年間 ICU で働かせていただきました。

そして、昨年千葉大学大学院に入学し、小児看護学を専攻、今月から新たに 2 年生として のスタートを切り、今は看護研究の計画書の作成に没頭している毎日です。

最近はようやく男性看護師も増えてきたので、幾分肩身の狭い思いをしなくてすむよう になりましたが、「どうして看護師になったのか?」という質問を今でも時々受けます。

看護師を目指すきっかけとなったのは、中学生の時に小児がんに罹患したことでした。 中学校 1 年生の夏休みに胸腺に腫瘍が見つかり、すぐに入院をせまられ、腫瘍の摘出術を 受けました。2 カ月程で退院し、その後、外来にて放射線治療も受けましたが、翌年の 2 年 生の夏休みに定期検診で再発が確定しました。

今回は、手術は無理だということで、抗がん剤の点滴治療を何クールか受けました。当時 の私は、がんであるということは告知されず、「良性の腫瘍だから治る」という説明を医師 より繰り返し受けました。しかし、訳のわからない吐き気と倦怠感に悩まされ、それに耐 えながらベッドにひれ伏し、ただひたすら点滴が終わり、点滴を抜去してもらうのを待つ 日々でした。点滴さえ抜いてもらえば夜間は少しでも点滴のラインを気にせず寝返りをう てると、そんなことだけを考えて毎日過ごしていました。

しばらくすると脱毛が始まり、何も説明を受けていなかったので、その時の衝撃は今でも 鮮明に覚えています。そして、痙攣や帯状疱疹にもかかり、吐き気と倦怠感と帯状疱疹の 痛かゆいのが重なった時は、さすがに耐えきれなくなってしまい、半べそをかきながら「も う帰りたい!」とナースステーションに駆け込んだことがありました。そんな時、当時の 看護師さんたちが自分のつらい気持ちを受け止めてくれ、かゆみ止めの軟膏を塗ってくれ、 「もう少しだから頑張ろう」と励ましてくれました。人の優しさがこんなに温かいものだ と感じたのは、この時が初めてだったかもしれません。うれしくて涙が止まりませんでし た。その後も、寝付けない日があってもナースステーションに行けば、仕事で忙しいのに も関わらず、看護師さんたちが私の話し相手になって気を紛らせてくれました。

当時の印象として、医師の先生たちももちろん優しかったのですが、常に近くに居てく れて、たわいのない話にも付き合ってくれた看護師さんたちにすごく助けられた感があり ます。精神的に弱っている人に対するケアって大切なんだなって身を持って実感しました。 自分が助けていただいたことを恩返ししたい、自分も人の気持ちがわかってあげられる人 になりたいという気持ちをこの時から抱くようになり、今ではこの経験が自分の最大の強 みなのかなと感じています。

今後小児専門看護師をめざすにあたり、まだまだ知識・技術・経験と積み上げていくべ きものがたくさんありますが、一歩一歩毎日確実に成長できるように努力し、また、自分 が実際に体験した時の気持ちを忘れずに、常に初心を忘れることなく謙虚な気持ちを抱き ながら、入院している子どもたちとその御家族に最高の笑顔をもたらすことができるよう、 より良い環境における医療を提供できるように精進・努力していきたいと思っています。

最後に改めまして、本日はこのような会にお招きいただき誠にありがとうございました。 タイラー基金に携わる関係者の皆様とお会いできたことに大変感謝しています。今後とも よろしくお願いいたします。

簡単ではございますが、以上をもちまして、私のご挨拶に代えさせていただきます。 ありがとうございました。

斎藤由華さんのスピーチ

この度は、専門看護師奨学金プログラム奨学生合格という結果をいただき、身にあま る光栄に存じております。また、皆様の貴重なお時間をいただき、このような素晴ら しい式をいただけますことを深く感謝申し上げます。

私は、首都大学東京大学院 人間健康科学研究科 看護科学系 育成期看護学専攻 博士前期課程 2 年の齋藤由華と申します。

首都大学東京の前身である東京都立保健科学大学の看護学科を卒業し、東京医科歯科 大学医学部附属病院の小児科で 5 年間看護師として働いておりました。なので、もう 1 人の奨学生である横井君とは、4 年間を共にした大学の同級生で、また、タイラー基 金支援で国立成育医療センターに勤務されていた満生紀子先生とは、病院の同期で 3 年間一緒に働いた間柄でございます。これも、何か不思議なご縁だなと感じておりま す。

今回のスピーチで何をお話したらよいか色々悩みましたが、私の小児がん看護のつ たない歴史と、今後の展望についてお話しさせていただければと思います。

私は、自身の入院体験から、看護師への道に進むことになりました。そして、大学 4 年生の実習で、初めて小児がんの子どもと接することになりました。その子は、5 歳 の男の子で、弟がいたため、お母さんの面会は毎日ではなく、面会時間も限られてい ました。何とか気分転換をさせてあげたいと試行錯誤する看護学生の私に、「ママじ ゃなきゃやだー」と言って涙を流して訴えたその子の姿を見た時、「私はこういう子 どもたちのために人生に時間を使いたい」と痛烈に思ったことを、今でも鮮明に覚え ています。

それから、卒業研究では、『ターミナル期における看護師の働きかけと両親の変化』 というテーマに取組み、小児がんの子どもの、とくにターミナル期の看護について、 興味を持つようになりました。

「たとえ病気が治らないとしても、親子が癒されて、少しでも幸せを感じられる看護 がしたい」そう意気込んで飛び込んだ臨床の現場でした。

が、現実は私の予想を超える厳しさに満ちていました。

私が働いていた病棟は、半分以上が血液疾患の子ども達で、タイラーちゃんのよう に、乳児白血病と診断されて、移植をする子も多くいました。そして、その中には、 治療の末に亡くなっていく子ども達も少なくありませんでした。

最後の最後まで治療をして、ICUで最期を迎えた子、まだ小さいのに、最期に「あ りがとう」と言って亡くなった子、「私、まだ死にたくない」という言葉を残して旅 立った子、もう少し頑張れると思っていた矢先に亡くなってしまった子・・・たくさ んの子ども達を見送ってきました。

中でも、忘れられないのが、看護師 2 年目のときに、幼稚園生で亡くなったMちゃ んという女の子でした。白血病再発(Leukemia relapse)で骨転移(Osseous metastasis) という病状の悪さで、Mちゃんはいつ急変してもおかしくない状況でした。

全身の痛みと苦しさにベッドの上で「もうだめだー」と、のたうちまわっているM ちゃんに、お母さんと一緒にただただ抱きしめるしかできませんでした。

そして、お母さんの「もういいです。この子は充分頑張ったので、モニターも点滴 も全部とってください」という言葉に、頭が真っ白になりました。何もできなかった 自分の無力さ、Mちゃんが亡くなった後にお母さんが「もう痛くないよ。一緒にお家 帰って、あったかいごはん食べようね」とMちゃんを抱き締めている姿が忘れられず、 お恥ずかしい話ですが、立ち直るのに 1 年かかりました。

一人の子どもを失うとは、これほどまでに辛いことなのかと思い知った出来事でし た。

それを考えると、タイラーちゃんのご両親は本当に強い、素晴らしい心をお持ちな んだなと思います。

それから、5 年間働く中で、子どもにとって最善のケアとは何だろうと、日々悩み 葛藤しながら過ごしました。

そして、悩みながら過ごしているのは、私だけではないことも見えてきました。

どうすれば、限られた時間の中で、親子が幸せに過ごすための支援体制が整えられ るのだろう。

どうすれば、スタッフ自身の心も癒され、次にやってくる子ども達のために知恵を 出し合う場を生み出すことができるのか。

これらの思いが、大学院に進んで勉強したいと思う、大きな原動力となりました。

また、看護の研究や文献から、小児がんの子どもと家族へのターミナルケアについ て知識を得たとしても、なかなか実践に結び付けるまでに至らず、「知っているのに できない」というジレンマを抱えていたので、研究と実践がもっとリンクし、質を高 めていくための方法を知りたいということも、動機となりました。

現在、大学院で学び始めて 1 年がたち、少しずつですが、これらの課題に対する解 決の糸口が見え始めたように思います。

例えば、子どもの権利や倫理的な視点で、物事を分析する能力を養うことで、「子 どもにとっての最善の道」を探すことができ、問題の本質に迫ることができます。

また、様々な看護理論 Nursing theory やモデルを学び、アセスメントの能力を高め ることで、親子を、「点」ではなく「生活者」として、広い視点で支援していくことが可能となります。

更に、多職種との連携について学ぶことで、地域社会で病気を抱えた子どもと家族 を支えるトータルケアの実現に近づくことができるようになります。

そして、これから、これらの学んだことを実践するための実習が始まります。とて も緊張しますが、臨床で働いていた頃には見えなかったものをたくさん吸収して、考 えることができるのではないかと思っています。

このような時に、タイラー基金の方から、こういう形でご支援を頂けることは、と ても心強くありがたいことだなと感じております。

現在、タイラー基金で活動されている、シャイン・オン・ハウスシャイン・オン!チャイルドケア プログラムなどを拝見すると、小児がんで長期入院を余儀なくされている親子にと って、すごく大切な仕組みだという風に感じます。

私は将来的に、小児がんで治療する子ども達はもちろん、ターミナル期をたどる子 ども達も、少しでも家族みんなで大切な時間を過ごすことができるお手伝いがしたい と考えています。今の医療体制では、一度入院してしまうと、病院だけが生活の場に なってしまい、家族がばらばらになってしまうのが現状です。

しかし、シャイン・オン・ハウスのように病院の近くであれば、ほんの数日でも、 家族で過ごせる時間を提供することができるかもしれない、そしてゆくゆくは、病棟 からも看護師や医師が訪問することができ、より安心できる環境の中で、時間を過ご すことが可能となるのではないかと思います。

「子どもがおうちに帰りたい、もっと家族と一緒にいたい」と思った時に、その場 を整えていくことができたら、どんなに素晴らしいだろうと思っています。

最後に、このタイラー基金の奨学生となることに対して、ありがたいという思いと ともに、その重みを忘れないでいたいと感じております。

ご自身のお子さんを亡くされ、悲しみから立ち上がれないご両親も少なくない中で、 今困っている仲間のためにと立ち上がり、このように素晴らしいそして、飛躍的な活 動をされておられるのは、タイラーちゃんとそのご家族の間に、永遠の絆がしっかり 結ばれているからだろうなと感じます。

私も、タイラーちゃん、そして、私が見送ってきた子ども達が伝えようとしてくれ たことを忘れずに、これから頑張っていきたいと思います。

ご静聴ありがとうございました。